修羅の贄 #18



天井ギリギリにある小さな天窓からわずかに月明かりが差し込んでいる。
その月明かりが、自分の身体に着いた縄目を浮き上がらせていて、サンジは溜息をついた。
『すごろくだなんて、なにがおもしれェんだか… 』
そう思っていたのに、そのすごろくの駒が自分の身体のあちこちをそろりそろり巡り歩いていくもので、終点―いわゆる『上がり』―の場所がサンジの秘めた蕾の奥所であるなら、身体は刺激で昂らずにはいられない。開脚状態で縛られた身体は、思いのほか乱され喘がされた。

その自分の痴態を頭から振り払って、サンジは先日の三御所の言葉を考える。
先日、三御所から海の近くの別邸へ一緒に行こうと誘われた。
そのときは、道中に脱走する機会があるだろうと胸を躍らせたが、考えれば考えるほど簡単ではなさそうだ。
おそらく身動きの取れない状態で荷物のように運ばれることだろうし、監視は当然厳しいだろう。 運よく途中で逃げ出せたとしても、地理がまったくわからない。人里に降りれば人目についてしまう。かと言って山深く入れば道はなくなり玻璃へたどりつく経路がわからなくなる。

『 海に近いという別邸まではおとなしくしていて、そのあとに脱走すべきだろうか? 少なくとも海ならば、海岸近くを辿っていけばどこかの港につく。そこで船に潜入するなり、小船をかっぱらうなりすればいい 』
とはいえ、別邸についてしまったら監視の目は増え、脱走しずらくはなるだろう。
『 そもそも、別邸がどの方角にあるのかも、わかってねェんだよな…。不確定要素ばかりだ 』
天窓から伸びた白く細い月光は希望の光のようにも見え、反対に、脱走が成功する確率の低さを物語るようにも見えた。



サンジが溜息をついているころ、鳩たちは主であるチャルロスを必死で説得しようとしていた。
「チャルロス殿、黒足は、玻璃国を手に入れるために、今、もっとも重要な質草です。手放してはなりません。我々の最終目的はあの豊かな玻璃国を手に入れるためです」

3年前、鳩がチャルロスに示した計画はこうだ。
ロロノアが抱いていたベラミーへの恨みを利用して、玻璃国を含む北海をロロノアに襲わせいったんは霜月のものとする。 しかし霜月は貧しい山国だ。玻璃国を手に入れたあと、うまく運用できないのは目に見えている。玻璃国の民も自国を蹂躙した霜月を恨んで従わない。 となれば、混乱が起こるのは必至。混乱を抑える名目で玻璃国を我らの保護区にしてしまえばよい。

「…我々はそう目論んで、ロロノアの北海襲撃を擁護したわけです。ロロノアが玻璃国の財でなく黒足を略奪したのは誤算でしたが、これを利用して黒足を質にとるのもいいとチャルロス殿も納得したではないですか」

ロロノアはベラミーに相当恨みがある様子だったから、玻璃でも大いに殺戮をし財産を略奪し、玻璃国の民の恨みを買うだろう、という鳩の思惑は外れたが、すぐに別の朗報が転がり込んできた。ロロノアが玻璃の嫡男を奪い、辱めているらしいという噂だ。
ならば、この男を手に入れよう。彼を救ったという恩義を玻璃国に感じさせ、かつ彼の身柄の安全を盾に、玻璃国をこちらの思うがままに操ろう。

鳩は黒足を茶宴に招きいれて陥れることを計画し、黒足への興味を煽るような情報を巧みにチャルロスに吹き込んだ。
もちろん黒足を手に入れたチャルロスが醜悪な方法で彼を陵辱することは想定内だ。
黒足の心を砕き、従順な人質として屈服させるには都合が良い。
三御所たちが黒足に興味を持ったときにも、これで三御所の機嫌取りもできるとほくそえんだ。
なにもかもうまく行っているように思えた。 しかし、御所たちの関心はチャルロスのような一過性のものでなかった。
執着は毎々増して、ついには自分の避寒地へ連行したいと言い出した。思いもかけなかった申し出だ。

鳩はチャルロスに繰り返した。
「黒足を手放してはなりません。すでに玻璃城主ゼフへ、交渉の密書を送っております。交渉の要である黒足がいなくなれば話が頓挫します」
「わらわはゼフなどという下々民よりも、三御所に逆らうほうが恐ろしいえ!」
「逆らうのではなく、黒足は罪人で危険人物だということを御所へお伝えするのです。従順に見えてもいつ牙をむくかもわからない。お命を狙うかもしれません。御所のご要望に逆らうのではなく御所の身を深く案じるあまりのご忠言だということを強調するのです」

言いながら鳩は、自分の言っていることが黒足を御所に渡さないためのただの口実でなくて、十分に起こりうる事実であることに思い当たった。
茶会の席で黒足はこちらの奸計に陥り、捕らえられた。そして、その贖罪という名目で、衆人環視のもと様々な形の張り型で繰り返し責め立てられた。その一部始終を鳩は、玻璃を奪う計画の一環として冷徹に見ていた。
あの時、屈辱と強制的な吐精の苦しさに涙しながらも、黒足の眼にはまだ闘志があった。
人を人とも思わぬような扱いを受けて、かえって黒足が、この状況に甘んじる気はないという意思を強固にしたのを鳩は見てとった。
そして思ったのだ。
『 マズイな。このままでは黒足は逃亡の意志を強くするだけだ。だが逃亡されるわけにはいかない。女官らを盾にして彼の動きを封じても、その手がいつまで持つか。そもそも女官らの手におえるような者ではないのだ。ならば彼を従順な人質にするしかない。彼が自主的に発言したり、誰かと連絡を取ろうとしたりするのを断固封じ、黒足の思考をそぎ、意志を奪い、我らに屈服させねばならない 』

だから鳩は、二度目の蹂躙を計画したのだ。もちろん前回同様、衆人環視のもとだ。
しかも仰向けでなく、より屈辱的な獣の形に這わして張り型を繰り返し飲み込ませた。
さらに一度目と違って、女として扱った。つまり漏らせないよう玉茎を固く縛った。
吐精出来ない分、解放されない悦楽が身体の中で荒れ狂う。ひとつを耐えても、次の張り型がまた黒足を苦しめる。
ついに屈服した黒足が、殿上人たちの白濁で満たされた杯を犬のように舐めた時、鳩は黒足の心を砕くのに成功したと感じたものだった。

実際その後の黒足は別人のようにおとなしかった。
鳩はおとなしくなった黒足に諭すように言ってやった。
『 あの茶宴の乱痴気騒ぎは、おまえが犯した茶宴での無礼に対する罰なのだ。またおまえが無礼なことをすれば…つまりチャルロス殿や我々に逆らえば、我々としてもまた罰を与えねばならない。だがそんな無礼を働かずおまえが素直に罪を認めて我々に従うなら、決して悪いようにはしない。平穏に過ごせるのだ 』
黒足は反論することなく納得したように頷いた。
黒足は鳩の思い通り従順になった。

だが、本当に従順になったのだろうか。ここへきて鳩は疑問が湧いた。
虐待や暴行によって従順になった者は、支配者を恐れるものだ。びくびくと顔色を伺う。こちらの機嫌を損ねないよう気を遣う。
黒足は違う。我々に逆らわないというだけで、恐怖する様子も機嫌を取る様子も見られない。
殿上人による屈辱的な仕打ちにいっとき心が折れたとしても、我々に屈したわけではないということか?

鳩は、この話は終わりだと言わんばかりに去っていくチャルロスの背中に向けて叫んだ。
「チャルロス様、お待ちください! 御所のご要望でも、やはり黒足をあの塔から出してはなりません!」
「しつこい! 御所はもうすっかりその気で、ご満悦でほかの者にも耳打ちそうだえ。それをやめさせるなど、御所のお顔に泥を塗ることになるではないかえ! それがどれほどマズイことか、考えるだけで恐ろしいわ! だいたい春になれば戻ってくるではないか」
「戻ってくるとお思いですか! 必ず逃亡の機会を狙っています」
「それほど心配なら、おまえらがついていって黒足をずっと見張っておればよいだけのことだえ!」



◇ ◇ ◇

御所が浮かれているせいで、鳩ら策略家たちがいくら隠そうとしても、橘が新嘗祭のあとに避寒地に移るという話はじわじわと漏れていった。
霜月にも、サンジがどこかへ移送されるらしいという情報が入ってきていた。
これを黒足奪還の機会と考えるロロノアに対し、老中の半分以上が情報の信憑性を疑い、異を唱えた。 が、ほどなく、その情報を裏付けるかのような手紙がゼフから届いた。

「どうやらチャルロス側が玻璃に交渉を持ちかけてきたらしいぞ。チャルロスが交易の元締めとなる代わりに玻璃の国の再建と黒足の身柄安全を約束すると言われたと、手紙に書いてある」
「玻璃の再建? 殿上人は、玻璃を霜月の属国とすると約束したのではないのですか!?」
「確かに約束をした」
ロロノアはこみあげる怒りを抑えながら続けた。 「玻璃を征服した後、俺は即座に都に出向き、玻璃を霜月の属国とする合意をとりつけた。なのに、どうだ。一方で俺たちに合意しておきながら、もう一方ではその約束をないがしろにするような裏工作をしている。どういうことかわかるか?」
「最初から玻璃と通じていたとか?」
「違うな。通じていたなら黒足を人質にする必要は無いだろ」
「つまり殿上人の本当の目的は、栄えている玻璃を弱体化させて交易権を奪うことだった。そしてそのために…我々霜月を、利用した……」
「そういうことだ!」
重臣らはロロノアの怒りを理解し、ロロノア同様、悔しさに唇を噛んだ。

霜月は利用されたのだ。この先、殿上人の思惑通りにチャルロスが交易の元締めとなったら、この国はお役ごめんとばかりに潰されるだろう。
今のところゼフは霜月に好意的で、玻璃の交易をチャルロスに渡すことを断固拒否している。しかし殿上人は玻璃の唯一の後継者である黒足の命運をちらつかせてきた。そうなると、チャルロスの言い分を呑まざろうえない局面に追い込まれる可能性は大いにある。

しかし 「だから今、黒足を取り戻そう」というロロノアの提案に、即座にうなづけるわけではない。
「これは罠かもしれません。もし殿上人側が霜月をお役ごめんとして排斥したいのなら、我々がここで黒足奪還をしかければ、かえってあちら側に霜月を成敗する口実を与えることになりませんか?」
それはロロノアも十分考えていたことだ。移送途中でいなくなった黒足が、霜月に居ることが知れたら、殿上人は必ず霜月を取り潰しにかかるだろう。
「だが、このままでは黒足は玻璃との交渉に使われる。どちらにしろ、殿上人にとって目の上のたんこぶである霜月を排斥しようという動きは変わらない」
「だからシャルリアさまと縁組なされば良かったのだ。あちらはその気だったのだから! まさか殿上人も血縁者の嫁ぎ先をないがしろにはしないでしょう」
重臣のひとりが放った言葉に場はざわついた。


「そうだ、シャルリア様とご結婚なされば良かったのだ」
「そうだな、そうすれば霜月は平穏だったのに…」
「そもそも黒足を生かしたことが問題では?」
ひそひそと交わされる会話が不穏な方向へ流れていく。
ついに決定的なことをひとりが口にした。
「殿、そういうことならむしろ、黒足がいなくなったほうが霜月にとって安全なのでは? 玻璃との交渉の切り札を潰すのです」
「殺すということか?!」
「もとより黒足は死んでいたはずの族(やから)です。玻璃が我々に敗れた時、黒足はそこで死ぬ運命だった。それを殿がたまたま、黒足を少し長く生かしただけのこと。恐れながら申し上げれば、殿が黒足を生かさなければ、今の事態は生じなかったかもしれませぬ」
痛いところを指摘されてロロノアは唸った。
窮したロロノアにかわってコーザが反論する。
「それは違う。殺していたら、殿上人は、霜月に対する玻璃の民の恨みをあおって霜月を陥れたに違いない。今ここで黒足を殺したら、玻璃は確実に我々から離れる。霜月は味方を失うことになる」
「味方も何も、玻璃は我々の属国ではないですか!」
「いまやわが国の存亡をにぎっている属国だ。怒らせないに越したことはない」
「怒らせないに越したことはないのは、殿上人のほうでしょう!」
結論は出ない。議論は果てしなく堂々巡りを繰り返す。

やがて、しばらく黙っていたロロノアが口を開いた。
「おまえたちの言うとおりだ。俺は、様々な局面で、国主としての判断を誤ったのかもしれねェな」
あっさり認めれば、喧騒が嘘のようにシンと静まった。
「黒足を生かしたことも、殿上人の女の機嫌を損ねたのも、俺の罪だ。そしてそのことで今の事態を招いたことも、おまえらの間で余分な諍いや溝が生じたことも、俺の罪だ。いずれこの責は取ろう。だが、申し訳ねェが今は団結してほしい。玻璃を落とした時に黒足を生かすべきだったか殺すべきだったか、過去の話をいくら議論しても全員が納得する答えを出すことはできねェ。今、言えることは、玻璃にとっても霜月にとっても弱点になりうる存在があるなら、その弱点を消しておくのが最良だとういことだ」
「ではやはり!」
『消す』という言葉を『殺す』という意味だと受け取った黒足殺害派はいろめきたった。
それをロロノアがやんわりと制す。
「まぁ待て。もし俺が、黒足を殺そうと言ったら、おまえたちは信じるか?」
殺害派は顔を見合わせた。ひそひそと言葉を交わし、ついにひとりが溜息混じりに言った。
「信じませんよ。口では殺すとおっしゃっても、きっと殿はまたご自分の忍びを使って黒足を生かそうとするだろうと推測します」
その答えを聞いて、ロロノアがにやりと笑った。
「おまえら、俺のことをよくわかっているじゃないか!」
あっさり認められては、殺害派も苦笑いするしかない。
「そういうことだ。殺すと決定しても信じてもらえない計画のどこに意味がある? それにおまえたちの主張をよく聞いていると、おまえたちは単純に黒足の存在を邪魔だと思っているのではなく、奪還の困難さをもっとも危惧しているのがわかってきた。だったら、頼む。信じられない殺害計画を練るのではなく、おまえたちが思いつく限りの困難と危険をすべて指摘してほしい。そのうえで、その困難と危険を回避する計画を立てれば、この計画はより成功に近づくだろう。頼む。力を貸してくれ」
実際、黒足奪還派がやや楽観気味であるのに対し、殺害派のほうがより現実的に行動の危険性と成功率を天秤にかけて判断している。つまり殺すのなら黒足に近づかなくても、矢を射掛けたり毒の霧を浴びせたりすることで可能だが、奪還となると警備網を潜り抜けて黒足に近づいて彼を奪い、無事に逃亡しなくてはならない。殺害よりもずっと困難で危険が伴う。だから奪還に反対しているのだ。

しかし、当主にここまで言われては、殺害派も折れるしかない。
「承知しました。奪還の計画のために想定できる危険をともに洗い出しましょう。でも約束してください。その結果、奪還の成功率が低かったら、そのときは奪還をあきらめると」

ところがここで静かな声が響いた。
「何もしない、という選択肢もありますよ」
「何?」
「黒足を殺しもしない。しかし助けもしない。霜月国はこれ以上、黒足に関わらない」
男衆の中に、すっと入ってきた人物を見て、ロロノアが叫んだ。
「ロビン! おまえがそれを言うのか! 見捨てろと!」



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