修羅の贄 #19



三御所たちはサンジを避寒地へ連れて行く気満々で周囲に吹聴していたが、いざ本格的に計画を進めてみると三御所それぞれが異なる用向きを抱えており、三者そろって避寒地に行くのは無理があることが判明した。結局サンジを同伴していくのは、彼にもっとも執心している中御所になった。

中御所の旅路に伴う隊列は、一見すると質素に見えた。中御所が乗る輿はきらびやかな装飾がされているわけでなく、衣装や装身具を詰めた長持ちもさほど多くない。
派手好みで、自分の威光を存分に見せつけたいチャルロスには理解ができない地味さと少なさだったが、避寒用の館にも衣服も装身具も余るほどにあるのだから、わざわざ持っていくまでもないと言って中御所は笑う。

もっとも荷物は「殿上人にしては少ない」という数である。しかも量より質という言葉にふさわしく、隊列が通る際に従者が打ちならす鳴子のような小さなものから長持ちのような大きなものまで、すべてが選び抜かれた物だ。沿道の者には、中御所の格と威光は十分伝わるだろう。

その隊列と共にサンジが送られることについては「鳩」たちが最後まで反対した。
「良いではないか。あの下下民を転がして面白かったのは最初だけぞえ。やはりおなごのほうが良いとよぉくわかったわ」
「閨の遊びのためにロロノアから取り上げたのではございません。何度も申し上げておりますが、玻璃との交渉のための人質です」
「おまえ、誰に口をきいておる! 我はチャルロス卿ぞ! 下々民の分際でこのチャルロス卿に意見すると言うのか!」
なんど同じ進言をしても、結局聞き入れられなかったばかりか、どうやらこの件でチャルロスは鳩らを鬱陶しく思い始めたようだ。

それを裏付けるかのように鳩の仲間全員が旅へ付いていくように言い渡された。そのうえ鳩たちの補佐としてつけられた者たちは雑兵ばかりだ。
中御所の駕籠周りには一応、儀仗を携えた武官たちが配置されており、お泊り所は到着の数日前から守護兵が取り囲んで怪しい人物を入らせないようにしている。しかし彼らには、ほとんど実戦経験がない。
そんなお粗末な下知なのもわからなくはないとは思う。殿上人の一行を襲おうなどという不届き者はかつていなかった。そんなことをすれば、親類縁者だけでなく近隣の住民もすべてが罪人扱いになるからだ。
だが、今回は、今までとは違う。要注意人物である黒足が同行させられている。何かが起こると用心すべきだろう。

『それなのに、この手薄な警備…』
鳩は悟った。チャルロスは玻璃との駆け引きなど面倒だと考えているのだと。
玻璃の交易は、それを担う玻璃の民の協力あってのものだということなど、チャルロスは理解していない。
だからサンジが逃げるか奪われるかし、その逃亡先が玻璃なら玻璃を潰せばいい、玻璃でなく霜月が逃亡に関与しているなら霜月を潰せばいい。そういう短絡的な考えだ。
たとえ何事もなくサンジが避寒地についたとしても、それはそれで中御所に恩を売れるし、春になって手元に帰ってくれば、また黒足をスキモノたちに貸し出せばよい。
そんなふうにしか思っていないのだろう。

出立の朝、中御所は見るからに浮かれていた。チャルロスも浮かれていた。ご機嫌な中御所を見て、自分の株が上がるに違いないと胸算用してご機嫌なのだ。
警備の者たちも、給金付きの小旅行気分で浮足立っている。彼らは輿のひとつに、殿上人でない者がひそかに押し込められているとは知らないのだ。ゆえに警備の指揮を執る鳩たちが妙にピリピリと神経をとがらせていることに首をかしげるほどにのんきなのだ。

最初の計画では、サンジは荷物として行李か長持ちなどに押し込められるはずだった。
しかし途中で小便などの用を足させる場合に、荷物の中から人が出てきたら運搬人らは不審に思うに違いない。
加えて中御所も、可愛がっている黒足が荷物として運ばれることに難色を示した。
こうしてサンジを長持ちに入れる案は早々に却下されたが、かといって、従者と同じように徒歩で歩かせるには足の縄を外さねばならず、逃亡をたやすくしてしまう。
逃げないように足かせをつけたまま歩かせるのでは、避寒地への遊興の旅にしては不穏だし悪目立ちする。
結局、なんの装飾もない板張りの輿に縛った黒足を押し込めて運ぶこととなったのだ。



◇ ◇ ◇

中御所たちの隊列は、ゆっくりと避寒地を目指した。殿上人をことさらにもったいつける意向と、中御所がやや高齢であることが隊列の歩みの遅さの所以であろう。

それでも隊列は着実に避寒地との距離を縮め、チャルロスの家を発って六日が過ぎた。
前日の夕方から雨が降り出し、今日の天気を心配したのだが、朝にはカラリと晴れ上がった。むしろ晩秋にしてはやや汗ばむほどの陽気で、いわゆる小春日和だ。
寒さで肩をすくめながらたらいを使った昨日に比べて、身体が自然とのびやかに動く。気持ちももちろんのびやかに穏やかになり、中御所はもちろん、守備隊もみな朝から機嫌が良い。天候というものはこうも人のこころを支配する。

しかしそうは言っても七日目である。警備の者に疲れが溜まってきていた。
なにしろ今回の中御所は浮かれており、宿泊の館では常に風呂を要求し、身体をもみほぐさせ、身体の疲れが取れた後は夜遅くまで酒宴に興じるというありさまだ。
それが連夜のことでは、警備の者はゆっくり休めない。交代で寝ようとしても、酒肴を運ぶ足音や宴席の嬌声に妨げられて熟睡できない。
どれほど夜に騒いでも、中御所や役付きの上位従者は昼間に輿や駕籠のなかで眠っておればよい。だが警備兵は歩き通しだ。疲れが出るのは必然だろう。

鳩たちとしては黒足の周りを精鋭で固めておきたいのだが、疲労を貯めた警備兵だけに中御所と中御所付きの上位従者を守らせておくのは危い。
そろそろ精鋭を何人か御所たちの警備に回さねばならなくなってきていた。



「まったく御所殿のはしゃぎぶりもそろそろ落ち着いてくれると良いのだが…」
「さて、誰を中御所の警備に回すべきか…」
「黒足がどの程度弱っているかだな…」
鳩の仲間たちがひそひそと話し合う。
やがて鳩が尋ねた。
「羊、黒足の様子はどうだ? 不審な動きはないか?」
鳩に『羊』と呼ばれた人物は、チャルロス邸の塔で女官頭を務めていた人物だ。仲間うちでの通り名は『羊』、鳩の率いる精鋭部隊のひとりであり、この道行きでは、晩に宿泊所についてから翌朝宿泊所から出立するまでの黒足の世話と監視を重点的に担っている。
宿泊所で羊がしっかり役目を果たしてくれているあいだ、鳩たちはしばし気を抜いて休息できるのだ。

羊は、鳩の問いに冷ややかに答えた。
「黒足の様子ですか? 不審な動きどころか起き上がるのさえ緩慢です」
「まぁ、もう十日以上、何も食べさせてないからな」
「それだけではないでしょう?」
羊は鳩を睨んだ。
「なんだ、俺のやり方に不満があるのか? らしくないな。我々にとって最も大事なことは、無事に中御所の別邸に着くことだろう? あと2日だ。今日、峠を無事に越えれば、明日の夕刻には中御所の館に着く。不満があるなら、そのあとで聞こう」

『らしくない』だと? こうした卑俗な行為を、此方が毛嫌いしていることを知っているくせに――
羊は心の中で盛大に鳩に悪態をついた。
移送が決まったとき、鳩は言ったのだ。
『今日から黒足に食事は与えるな。食事制限と睡眠妨害で弱らせろ。いや、それだけでは心もとないな。移送中に騒いだりわめいたりして混乱を作り、それに乗じて逃亡を図る可能性もある。いっそ足も口も動けなくしてしまうのが最良なのだが、足の腱を切ったり舌を抜いたりすると、愛玩具を傷つけたと御所殿たちがお怒りになるだろう。しかたがないな』と。

しかたがないという言葉を、食事制限と睡眠妨害だけでもしかたがないなという意味かと思った羊は、続けて言われた鳩の言葉に、自分の甘さと鳩の非情さを思い知らされた。
「念には念を入れて、アレを使え」
「え? アレは下手すれば…」
「わかっている。だが背に腹は変えられぬ。気にするな。四肢に不自由が残ったとて公卿らの嗜虐には妨げにならぬだろう。どうせ今だって手枷足枷で自由に動かせはしないのだ。むしろ縛る手間が省けて喜ばれるかもしれぬ」

なんと醜悪な…。嬲るためのダルマを作っても良いというのか…。
吐き気を覚えて顔をひきつらせた羊に鳩は続けた。
「わかっていると思うがアレを使う時、口から飲ませるなよ。黒足ならきっと気づいて吐き戻す」


◇ ◇ ◇

あのやりとりを思い出すといまだに吐きそうになる。
あんな命令をしておきながら、しれっと『弱るのは、何も食べさせてないからだ』などととぼけるとは!

足を踏み鳴らして歩きたい心を羊は必死に押しとどめて、傍目には平静を装って黒足の寝所へ向かう。それでも後ろについてくる牛にひっそりと指摘された。
「足音がわずかに大きいぞ」
共に修羅場をくぐってきた仲間だ。羊の心情は筒抜けだ。それは鳩も同じなのだが、どこまでも冷徹に判断する鳩よりも、時に温かみを見せる牛の言葉のほうが羊には素直に聞けた。

いつもの冷静さを取り戻した羊は牛と連れ立って黒足を拘束している部屋へ向かった。
その途中で人足たちの休息所の横を通った。昨日の人足と今日の人足との引継ぎでごった返している。
その喧騒から離れて二人ほどが中庭に出て木にもたれながら雑談をしている。こちらに背を向けているが、その背格好に見覚えがあった。

あの者たちは昨日、黒足の輿の提げ手だった者だな。引継ぎをしていないということは今日も同行するのか――。

人足たちのほとんどは街道の近隣の里や町たちから選ばれている。
中御所や位の高い者が乗る輿の提げ手が厳選された者であるのは当然だが、そのほかの荷運びであっても殿上人の荷物を扱うわけだから身元がしっかりしていて礼儀をわきまえていることが最低の条件だ。どれだけ屈強でも粗野な人物や周りとの協調ができない者、勝手な行動を取る者は選ばれない。
彼らは朝に集合して、次の宿泊所まで荷物を運び、人足用の宿で一泊させてもらってから翌朝駄賃を受け取って各人自分の家へ帰っていくのが常だ。二日日目も荷運びしてさらに次の宿泊所まで行ってしまうと自分の家まで一日では帰れなくなり、せっかくの駄賃を宿代に使ってしまうことになる。
そういうわけで、ほとんどの者が一日だけの働きだ。
だがまれに二日連続で荷運びする者もいる。行った先に親戚の家があるとか、自分の里に無いものを買ってかえりたいとかの理由だ。
中庭の二人は、どうやらその二日連続稼ぎをする者のようだ。
彼らは羊たちに気づいていないようで雑談を続けている。

「ところで昨日、俺たちが運んだ輿だけどよ…」
話が黒足のことに及びそうな内容に変わり、羊と牛は耳をそばだてた。



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羊って通り名を使うにあたり、羊っていつごろ日本に来たのかな?と思って調べたら、結構早かったのね。その後家畜として定着しなかったけれど、羊という動物の情報はあったことがわかりました。

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