修羅の贄 #20


※文中に、現代では不適切な表現があります。この物語の世界観に合わせ、使用しております。



「…俺たちが運んでるお姫さんよぉ、俺はここだけの話、狐憑きじゃねぇかと思うんだ」
「おい滅多なこと言うんじゃねぇよ」
「だってよ、うろつく癖があるからどこかへを行ってしまわないように縛ってあるって説明されたけど、おまえも見ただろ、便所に行くときにあのバカデカイ従者が抱えて連れていったのを。あのお姫さんは『いざり』だぜ。満足に立つこともできねぇ足だ。なのにどこかへ行かねぇように縛ってるって、おかしいだろ。縛ってんのは足のせいじゃなくて、お姫さんに憑いている狐が暴れないようにするためだと思うんだ。」
「『いざり』だとしても、這いずってどこかに行っちまう可能性はあるから縛ってるんじゃないか?」
「違ぇな。うろつくだけなら、頭からすっぽり頭巾を目深に被せたり、口周りに薄い布巻いたりする必要あるか? 実は俺、気づいちまったんだが、頭巾の端っこから見える毛が狐色だった。それに、あのデカイ従者とお姫さんが話してるのをちらと聞いたんだが、干上がったようなかすれ声だしろれつもうまく回ってねぇ。顔の布がないほうが聞きやすい筈なんだ。頭も口も覆ってるのはきっと、狐の顔になっちまったのを隠すためなんだよ」
「憶測でとんでもないことを言うなって。無礼者とか言われて罰せられるのがオチだ。俺たちは黙ってお姫さんを運べばいいんだよ。俺たちはなにも見なかったしなにも気づかなかった。いいな? これ以上なにも言うなよ」

聞こえてきた内容に羊と牛は顔を見合わせた。
「なるほど狐憑きか…」
「そういう邪推は歓迎だな。そう思っていてくれるほうがこちらとしてはやりやすい」
さらに言えば彼らの話によって、鳩の非情なやり方がこちらの狙いどおりの効果を上げていることがわかる。あと2日――不本意ながらもやはり鳩の策のまま、この移送を完遂するしかなさそうだ。


羊と牛は宿泊所の最奥の部屋に入った。そこには床柱に寄りかかるようにして縛り付けられている黒足の姿があった。
「今朝の気分はどうだ?」
牛の声に反応してうっそりと上げられた顔は疲労の濃さがにじみ出ている。闇にまぎれて逃亡しないよう、夜中でさえ身体に廻された縄が解かれることはない。しかも夜は、昼間はつけられていない重石も括り付けられている。
休息できるような状態ではない。疲労が濃いのは当然だ。
それでも落ち窪んだ眼を光らせて黒足は答えた。
「今朝はさほど悪くなかったぜ。だが、あんたたちが現れたとたんに最悪になったな」
この強気こそが厄介なのだ、とばかりに牛と羊は顔を見合わせて溜息をついた。
チャルロスの館ではいったんは従順になった黒足だが、移送という機会を得て彼が何を企むかわからぬと鳩は言った。ある意味黒足の性格を一番理解しているのは鳩かもしれぬ。

牛は黒足を柱に括りつけている縄をぶつりと切って、黒足の身体を床に転がした。手足は縛られたままなので、されるがままだ。
牛が黒足を床にうつ伏せに押し付け、背中に馬乗りになった。乗ってみると、もともと細身だった身体が、ここ数日で一層華奢になったことがよくわかる。
牛は、背に乗ったまま黒足の下肢のほうに向き直るや、細い身体にまとわりつく女物の着物と緋色の腰布をたくしあげ白い尻をむき出しにした。
足首だけでなくう膝の部分でも両足をひとくくりに縛っているから股を開かせることはできないが、腰の下に高枕を差し込めば尻が突き出される格好となる。牛がその白い双丘を、無骨な手で左右に割った。谷間の奥の後蕾からは細い柳の小枝が覗いている。その小枝が、牛の手でずるりと引き抜かれた。
とたんに黒足がうめいて身体を仰け反らせた。柳の枝の周りには綿がぐるりと巻きつけられている。指2本ほどの太さしかないが、それでも後ろを抉られる感覚に身体が跳ねずにはいられないのだろう。
傍らで見ていた羊は『こうした責めを楽しむ奴らの気がしれない…』と柳眉をわずかに釣り上げる。

「羊…」
牛に呼ばれ、はっとした。牛の眼が続きを促している。
羊は感情を封印して、懐から竹筒を取り出た。中には綿を巻いた柳の枝が入っている。先ほど牛が黒足の後ろから引き出したものと同じ形状のものだ。
牛によってあらわにされた後蕾は、綿の張り型を引き抜かれたばかりでぽかりと口をあけている。羊はその入り口に、竹筒から取り出したばかりの新しい綿を押し当てる。薄紅色のひだが綿の進入を拒もうと押し返してきた。
「力を抜け。ここで抵抗しても無駄だ」
「うるせぇ…わかってるんだよ、んなこたぁ!」
黒足がやけくそのような声で答えた。無駄な抵抗だ頭ではわかっていても身体が反射的に拒むのだ。
羊はチャルロスの館で、ふた月以上、黒足が嬲られるさまを女官長として間近で見てきた。いつまでたっても抵抗を見せる身体を見ながら、いっそ慣れてしまえばいいのにと思ってきた。そうすればラクになる。黒足が、ではない。羊自身が、だ。
そう思うと羊は笑い出したくなった。
いっそ慣れてしまえばいいのは、私ではないか。この卑俗な責めにいつまでたっても慣れないことといい、自尊心を殺して自分の役目をまっとうしようとしていることといい、ここで縛られているのは、まるで私ではないか。



柳の枝を覆った綿がすっかり黒足の中に埋まってしまうのを見届けると羊と牛はいったん戻っていった。
残されたサンジは縛られたまま身体をよじった。移送が始まってから毎朝繰り返されるこの施術に、苛まされる。
柳の枝に巻かれた綿は秘薬を吸っており、それを後ろに埋め込まれると、四半刻ほどで手足の先や舌先など抹消部分が痺れてくる。太もものあたりはまだ力が入るが、膝から下の感覚がなくなり、長時間正座をしたあとのように立てなくなるのだ。人足が「いざり」と表現したのも無理はない。
しかもこの薬は酒で効果を長引かせることができるようで、水分補給代わりに薄い酒を飲まされる。すると薬と酒の相乗効果なのか、酔うというより、なにやらふわふわとした浮遊感がやってきて、頭の中も靄がかかったようにぼんやりとしてくる。
道中に小便を促される時などは、逃亡を図るに恰好の機会だというのに思考はおぼろげで足元はふらつくといった有様で、牛の介添えがないと小便もままならない。
夜になっても効果は残っており、理性を失ったままの状態で中御所に双嚢を揉まれて、声を抑えるどころか盛大にあえいでしまったりする。
そうした数々が薬を取り替えられた直後の頭が冴えたときに、黒足の脳内にどおっと蘇ってきて、羞恥でしんでしまいたくなる。いままで散々屈辱的なことはされてきたが、このいたたまれなさはどうしたものか。泣きたいような怒りたいようなわめきたいような感情がいっきに押し寄せて、サンジは縛られた身体でじたばたと身じろく。しかしそれもわずかの時間のことで、サンジの頭の中には徐々にもやがかかり、足からは力が抜けていくのだった。


 ◇ ◇ ◇


中御所の一行は前日より少し早めに宿を出た。昨夜の雨のせいで道がぬかるんでいて進行がゆっくりになるからだ。地面が乾くまで待ってから出発していたら、今日中に峠を越えられない。中御所が毎年通る道だから、かなり整備されてはいるが、山道の後半には急なところもあるし滝もある。次の宿泊所にたどり着く前に日暮れになるのは危険だった。

宿を出てからしばらくすると、今までの平坦な道から峠の上り道に差し掛かる。これまでの街道沿いでも色づいた葉が目を楽しませてくれたが、山のそれは圧巻だ。雨上がりで空気が澄み、葉に残った水滴がキラキラと陽の光を弾いている。紅葉した葉も常緑の葉も雨で洗われていっそう色鮮やかに輝いている。木々の合間からはまっさおな空が垣間見える。
中御所の輿と派手ないでたちの従者たちは、最初のうちこそ人足らを驚かせたが、見慣れれば心動かされることはない。
だがこの自然の景色の美しさは飽きることがない。この旅一番の美しい景色だ。

隊列はつづら折の山道をゆっくりと進んでいく。標高が上がるにつれ人家の気配が消え、山の景色が色濃くなる。やがてなんとも芳しい香りが漂ってきた。昼に向けて気温がいっそう上がり、その暖かい空気によって高められた木々の香気だ。新緑の時期の清々しい香気とはまた違った、落ち葉や苔などの香りが混ざった深い香気だ。
サンジが運ばれている四方板張りの輿では小さな物見窓を開けぬ限り香気が流れ込むことは無いが、中御所の乗っている輿は屋根を支える柱の間に上等の御簾を垂らした輿なので、御簾の間から存分に香気が流れ込んでくる。明るい日差しの中できらきらと漏れて入ってくるので、中御所は大層ご機嫌だった。

峠の天頂にある社殿に昼食のための休憩に立ち寄ったとき、中御所はうきうきと語り始めた。
「此度は良い旅になりそうだえ」
「ほんに本年は良い陽気でようございました」
宮司が話を合わせる。毎年避寒地へ赴くたびにこの御社で昼休憩を取るので、宮司も禰宜らも既知の顔ぶれだ。
「陽気もたしかに格別であるがの、今年はまた、別の楽しみが増えるのだえ」
「おお、お楽しみが増えまするか! それは良いことにございますなぁ」
深くは追求しない。中御所の趣味も承知しているし、この社殿は昼食を振る舞い休憩させる役割を担っているので『中御所御一行様』に含まれる人物の内訳が伝えられているのだ。 高貴の者も荷物運びの人足たちも、それぞれに用意された昼食をのんびりと楽しみ手足をくつろがせているとき、サンジだけが身体をのばすこともできずに板輿の中に留められていた。
それは今日に限ったことではない。旅程が始まってからは毎朝板輿に押し込められ、夜の宿泊所に着くまでの間、輿から出されるのは小用の時だけだ。
水分補給のときも輿の出入り口である一方の板だけが持ち上げられ、外から金属製の長柄銚子がずいっと差し出される。本当は木のひしゃくで十分だろうに、わざわざ公卿らが使う長柄銚子を差し出してくるのは、板張りとはいえ輿に乗っている者がそれなりの身分あるように見せないと怪しまれるからだ。
今日も昼食の時間になって板輿を下げ持っていた人足らはその場を離れるのと交代に、羊や牛が長柄銚子をもって現れた。
板輿の一方の板を上げると中の人物が横倒しになっている。人足らは慎重に輿を運んでくれるのだが、複数の人数で輿を持っているだめ、勾配のあるところや雨の後でぬかるんだ道などを通るときには、どうしても揺れや傾きが生じる。そういう時に転げないように輿の中には握り紐が下がっているのだが、手を背後に回されて縛られているサンジは紐をつかむことができない。毎度輿の動きに翻弄される。今日も勾配のある部分に差し掛かったとき、上半身が後ろへ倒れるのを阻止することができずに背後の板にどんと頭を打ちつけそのまま横倒しになった。薬のせいで下肢に力が入らないから、縛られた身体では起き上がることもできず、そのままここまで揺られてきた。

そのサンジの身体を起こすでもなく、長柄銚子が差し込まれる。
口元に近づいた注ぎ口に気づいて、サンジは首を伸ばした。身体は相変わらず起こせない。注ぎ口をようやくくわえ、ちゅうと吸い込む。口に含むと薄められた酒の香がほんのりと鼻に抜ける。これを飲むと薬の効果がいったん復活し、また頭が朦朧とするとわかっているが、喉の渇きのほうが勝る。閉め切られた板輿の中は、秋とも思えぬ今日の暖かさと相まって蒸し風呂状態になっていたのだ。何か飲まねば干からびる。
銚子の水はすぐに空になった。それでも僅かな水気さえ惜しいとばかりに注ぎ口を銜えていると、牛が無情にも銚子を取り上げた。
恨めしげに見上げ、薬のせいでうまく回らない口で「足りねぇ」と言ってみる。
「漏らしてもいいならくれてやる」
牛の返事に、旅の初日の出来事を思い出してサンジは唇を噛んだ。
チャルロス邸の幽閉塔を出発する日の朝、今朝と同じように後孔に綿を詰められた。なんのためだろうかといぶかしんでいる間に下肢の痺れとめまいが襲ってきた。
しびれ薬だ死ぬわけじゃねぇといったんは判断したが、このしびれがどこまで広がるのかわからない。最初は足先だが、それがじわじわと這い登ってくる。手の指も心なしか痺れてきている気がする。めまいのせいで眼の焦点が合わない。次第に頭にもやがかかっていく。身体も思考も思い通りにならなくなっていくことに戦慄してサンジはうめいた。
女の着物に男の声では怪しまれるという理由で口に布を噛ませられているため、叫びたくても叫べないのだ。抗議の声を上げられないことが余計に負担になってまたうめく。うめきすぎて喉がカラカラになったサンジは、板輿に乗せられる前に水を要求した。
サンジの状態を哀れんで水をたっぷり与えてくれた幽閉塔の侍女も、飲ませてもらったサンジも、その時はこの道中でろくに手水場に行けないとは知らなかった。中御所が毎年避寒のために往復する道だから街道のあちこちに手水場が設けてある。殿上人も従者も人足も用足しを我慢する必要など本来は無い。
しかし縛られたサンジが牛に担がれて手水場に連れていってもらえるのは、長めの休憩の時だけだ。逃亡を阻止する意味もあるのか、もよおしたからといって、そのたびに手水場に連れていってくれるわけではない。それがわかっていれば水分を控えただろう。
しかし旅の初日だったため、サンジは知らずにたっぷりの水を飲み、その後ひたすら尿意を我慢することとなった。

あんなことはもうごめんだ――。
牛に担がれて手水場に運ばれ、着物の前を割られて陰茎を取り出されることなどは大したことではない。指先しか出ないような礼装束を着ているときなど、侍従の者が同じように小用を手伝うことは今までにもあったからだ。高貴な女性であれば、小用のあと陰部を清めることまで付き添いの仕事であったほどで、地位や身分のある者はあらゆることに他人の手が添えられることに慣れている。
そのためサンジも牛に用便の介添えをされることなどは気にならない。
しかし輿の中で粗相をするのは、それとは別問題だ。牢屋に入れられて垂れ流しならいざ知らず、手水場に行く機会を与えられているのに用便の失態を犯すなど恥以外のなにものでもない。
火が降っても槍が降っても漏らしてたまるかと、初日は朦朧とした頭の中で、ただそれだけを思って初日を過ごした。
牛はそれを見て取って、ちょっと意地悪もした。手水場に連れて行ったのに、着物の前を割ってやらなかったのだ。ようやく放出できるという矢先にお預けされて、サンジは絶望と憤怒で気を失いかけた。

同じ思いはするまい。もう道中のどの折に手水場に行けるかはだいたい把握した。出発前と昼食休憩時、あとは中御所が長めの休憩を欲した時だ。
もっとも中御所が休憩したいと言い出すのはまったく不規則で、腰が疲れたとか足を伸ばしたいとかの本来の休憩だけでなく、景色が美しいからとか小腹が空いたからとかの気分次第の休憩もある。それでも午前中はたいてい1回は休憩がある。中御所が言い出さなくても、周りが中御所の身体を気遣って休憩を促すからだ。
問題は昼食後だ。毎夜宴席を楽しんでいるせいで昼食のあとはたいてい、輿の中で昼寝をしてしまう。そうなると周りも昼寝を妨げないよう中御所に声を掛けない。
そうした中御所の昼寝事情まではサンジも知らなかったが、数日繰り返されれば昼食休憩のあと一刻半(約3時間)以上、休憩がやってこないことは体感的にわかっている。

水は…我慢するしかないな……。
サンジはぐったりしながら思った。
先ほどの水には酒が含まれていたから、じきに思考能力が奪われる。それでも身体からの信号は変わらず認識されるから、きっとこの後は「暑い」と「喉が渇いた」だけしか考えられなくなるのだろう…。

昼休憩が終わりサンジが押し込められている板輿を提げ持つ人足らが戻ってきた。風を通すためにあけられていた板輿の側面の板も下げられる。それでも輿の中の温度が異常に上がっていると見て取った牛が物見窓を少し開けたままにしてくれたのはせめてもの情けか。

峠を過ぎ、一行は下り道に差し掛かった。中御所はやはり輿の中で眠ってしまっている。
下り坂になると輿が前のめりになるので、本当は眠らずに中の紐を握っていてほしい。しかし中御所に眠るなと言える訳もない。
やむなく前の棒を提げ持っている者たちは、提げ棒を肩に担ぎ、後ろの棒の担当者たちは今までどおり提げ持つことでできるだけ輿が水平になるようにした。
中御所だけでなく、ほかの輿も、中の人物が昼寝をしているようなら同じようにした。
そうした配慮がされないのがサンジの乗る板輿だ。サンジが縛られていて中の紐などつかめるわけがないことはわかっていても、下り坂で輿を水平にせよという命令は人足に下されない。
もちろん、ほかの立派な輿のように前方が御簾になっているわけではないから前から転がり出てしまうことはない。とはいえ、末端が痺れている身体では、下り勾配がきつくなったとたんに身体がのめって前方の板にしたたかに頭と肩を打った。その後も揺れに合わせて板にコツンコツンとぶつかる。
玻璃城から長持ちに入れられて運ばれたときのほうが数倍もラクだったな、サンジはぼんやりと思った。
今と同様に縛られてはいたが、横倒しにされた身体の下には綿の入った敷物が幾重にも敷かれていた。そういえば長持ちなのに息苦しくもならなかった。そればかりか松明が燃える時に出る独特の香りも感じられた。長持ちの足元か側面かに空気を取り入れる窓が開けられていたのだろう。いまさらながら、あの時は気遣われていたのだとわかる。
ほぼ一年前のことだが、遠い昔に思える。あれからいろいろなことが有りすぎた。
少しずつずらすように身体の向きを変え、どうにか前方の板に背を預けると身体があちこちのぶつかることはなくなったが、薬の効果と輿の中にこもった暑さのせいで、しだいに意識が混濁してきた。
ときおり物見窓から入ってくる清涼な空気は、わずかながらも馥郁たる秋の木々の香りを含んでおり、かえって夢見心地になる。緊張の糸も切れてサンジはそのまま眠りに落ちていった。


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