修羅の贄 〜後日談 前編〜




サンジの足元でさくりと音がした。一歩進むたびにさくりさくり。霜柱が踏まれる音だ。霜月国にいるのだという実感がいまさらながら湧いてくる。
殿上人からの逃亡劇についての世間の関心が薄れ、人々のなかで過去のこととして風化する気配を待っているうち、3年近くが経ってしまった。

霜を踏むのは久しぶりだが、この秋の霜月を見るのは、俺は初めてだなとサンジは思う。
殿上人から逃亡したのは秋の終わりだったが、霜月から殿上人のところへ送られたのは夏の終わりだった。玻璃から霜月に連れてこられたのは冬の初めだったから、サンジは霜月の秋を知らない。

海辺の秋とは違う空気に包まれている。収穫物や熟した果実、落葉樹と針葉樹、落ち葉と茸、森の湿った土と畑の乾いた土。それらが混じり合って霜月の秋の香りを作っている。なにより山の紅葉の美しさは、これを知らずに霜月を離れたことを惜しいと思わせるに十分だった。

しかし、今は、それよりも気がかりなことがある。サンジは霜月の城内の一角にひっそりと佇む茶室を前にしてロビンに訊ねた。
「ロビンちゃん、あれが俺のための茶室だって?」
霜が降りるほどの朝だ。言葉とともに吐き出された息は白い。
その白色が朝の光と混ざり合うのを見ながら、ロビンは答えた。
「ええ」




ロビンの短い答えにサンジが複雑な表情を見せた。
それはそうだろう。彼にとって、あの茶室は不快な記憶しかないだろうから。
あの茶室で鳩になぶられた屈辱。そしてさらに忌々しいことに、それをお膳立てしたのは殿だ。羞恥よりも屈辱と失望とで彼の心は真っ黒になった。 『それだけじゃねェ…一番堪えたのは、俺自身の驕りと甘えに気づいたことだ。俺はさ、ゾロが俺の身体を他人に触れさせるわけはねェって思ってたんだ。とんだ阿呆だよな』

あのときのことはロビンでさえ思い出すのが苦しい。しかしロビンはそんなサンジの心をわかりながらも言った。
「とにかく、もう一度あの茶室に入ってみてほしいの」




躙り口から茶室に入ると正面に掛け軸の掛かった床の間。季節の花が控えめに生けられている。それだけでもサンジはおや?と思った。
ゾロは茶の心得などは大雑把で野点のときもぐいのみの酒を飲むように茶を飲みほした男だ。茶室など放ってあるものだと思っていたのだ。
しかし花が生けられて床も柱もきれいに拭き清められている。
「あ、ロビンちゃんが手入れしたのか……な?」
自分をここに誘ったロビンが急拵えで掃除をしたんだなという思いが口からこぼれた。が、ロビンの表情を見て、それは疑問形に変わった。
その逡巡を察したようにロビンは微笑み、自分がやったのではないと首を横に振った。
「ここを使っているのは殿よ。そしてほとんど誰にも立ち入らせない」

あらためて茶室を見て、サンジは思う。やはりこの茶室は、玻璃城にあった茶室に似ている、と。
躙り口正面の床の間も入って左手側の壁の窓が床の間を柔らかく照らしているのも、右手側に点前座があり風炉先窓や格子窓など点前座近くに窓が多いのも、玻璃城の茶室と同じだ。
限られた空間に必要なものを配置するのだから茶室は似たようなものが多いと言ってしまえばその通りだが。明らかに似せて作ったと感じられる。
「俺のために玻璃城に似せて作ったってこと?」

確かにそれも間違ってはいない。




「ロビン、俺はあんまりこういうことに詳しくねぇから教えてほしいんだが…」
あれはもう6~7年前だろうか、ゾロにそう切り出された時、正直言って驚いた。
武骨で剣技を誇る霜月の国主が草庵茶室を作ろうとは、いったい何の気まぐれだろうと。
だが土台や壁などができたその建物と、構造の図面を見たとき、その本気度を理解した。
そして、茶室の知識が乏しいにもかかわらず、彼が作ろうとしている茶室が細部に渡ってかなり具体的であったのだ。
「入り口はここ。くぐって入るところの正面に床の間」「ここに窓。で、窯の前に窓。窯の左側にもふたつ窓を作りてぇんだ」
土台や天井の作りにまで、指示が細かい。そのくせ、窯や茶器や茶わんに関しては「なんでもいい。そういうのはロビンが見繕ってくれ」とこだわりがない。
ロビンはピンと来た。これは、どこかの茶室を再現しようとしているのだと。




思い出に意識を飛ばしていると、サンジが怪訝な顔でのぞき込んできた。
はっと我に返ってロビンは、なんと答えようかと悩んだ。
「そうねというかいいえというか…。まぁ、謎解きはあとにして今はゆっくりくつろいでくれる? 私が亭主としてあなたにお茶を点てることを赦してくれるなら」
「許すも何も、喜んで! わぁ、感激だな、ロビンちゃんが俺にお茶を点ててくれるなんて!!!」

すっかり有頂天になったサンジと一緒に、まずは炭を起こし湯を沸かす。冷え冷えとしていた茶室が温まってきた。
いよいよ茶を点てるという段になりロビンが水屋に向かう。サンジは居住まいを正して客座で待った。

す…と点前口の戸が引かれてロビンが入ってくる。茶道具を持ち点前座にすらりと立ったロビンの姿を突き上げ窓の光が照らす。まるで後光がさしているようだ。炉の前に座ると点前座の周りにあるたくさんの窓がロビンを光で縁取る。上からの光がロビンの面を輝かせている。茶を点てる手の動きに合わせて光が躍る。
サンジはその美しさに夢見心地になった。
ことりと茶碗を置かれるまで、サンジは我を忘れて魅入っていた。




「わかった?」
ロビンが立てた茶をうやうやしく受け取って味わっていると、ロビンがそう訊ねてきた。
「え、何が?」
「この茶室、玻璃城の茶室にそっくりでしょう? でも玻璃の茶室にはない窓があるわよね」
玻璃の茶室にない窓…点前座の上の突上窓だ。
突上窓は月見窓とも言われ、客座から月が見える方向に天井があくのが普通だ。ところが、この霜月の突上窓の開く方向では、月は見えない。

「亭主に光を当てるための突上窓…そんなの聞いたことないけど、亭主のロビンちゃんがすごく輝いていたから俺は満足だ」
「ありがとう」
「ロビンちゃんはもともと綺麗だけど、もうこの世のものとは思えないほどだった。光に包まれて神々しくて美しくて…惚れ直しちゃうよー」
その答えにロビンは珍しく声を立てて笑った。
「へへへ…」
惚れ直すという自分の言葉に反応したのだと思ったサンジがほわわんと笑っていると…
「サンジ、この茶室はね、あなたが亭主として茶を点てるために作られてるのよ」

サンジはぽかんと固まった。
「俺が亭主…?」

点前座に立ったロビンを突上窓の光が照らしていた。まるで後光がさしているように…あれが俺だったら金の髪が輝くだろう。
炉の前に座ったら黒髪が光で縁取られていた。あれが俺だったら、金髪が光に溶けるようだろう。
ロビンちゃんのお顔は光で輝いていた。茶をたてる手が光を弾いていた。あれがロビンちゃんより顔も手も白い俺だったら…

ひとつひとつをなぞるように考えるうち、サンジの頬がじわりじわりと桜色に染まっていく。
ゆるく合わせた着物の襟元も朱に染まって、サンジはあえぐように口をぱくぱくとさせた。
ロビンがにっこり微笑んだ。
「ね、わかったでしょう? ここは、あなたの茶室という意味が。あなたを輝かせるための茶室なのよ」








「種明かしをしたところでひとつ提案があるの。明後日の満月の夜に、ここで茶会を開いて殿を驚かせましょうよ」
ロビンの企みにサンジは絶句した。
月光を浴びた自分の姿をまじまじと見られるなんてそんなこっぱずかしいことできるか!と思う。
しかしロビンは言うのだ。
「でも出し抜いてやるのも楽しいと思わない? 彼が驚く顔が見たいでしょう?」

まぁ言われてみれば、あの仏頂面というか泰然自若な彼の驚いた顔を見るのは胸がすく。
海へ出てから2年半ぶりだ。どんな顔をして会えばいいのか悩ましかったが、こういう仕掛けがあれば気づまりな気持ちから解放される。
なにより相手を驚かせれば、場の主導権が自分になるのも良い。
いくら心を寄せた相手と言えど、対抗意識が無いわけではないのだ。



そんなわけでサンジは最終的にロビンの企みに乗ることにした。



後編につづく



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